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雅叙園の誕生

ホテルの歴史

豪華絢爛な東洋一の美術の殿堂

ホテル雅叙園東京の前身の目黒雅叙園のルーツは、創業者・細川力蔵が、東京 芝浦にあった自宅を改築した純日本式料亭「芝浦雅叙園」。創業当時は、日本料理に加えて北京料理メインとし、お客様に本物の味を提供することにとことんこだわった高級料亭でした。より多くの人々に本格的な料理を気軽に食べていただくため、1931(昭和6)年庶民や家族連れのお客様が気軽に入れる料亭として目黒の地に目黒雅叙園が誕生しました。料理の味はもちろん、お客様に目でも楽しんでいただきたいと考え、芸術家たちに描かせた壁画や天井画、彫刻などで館内の装飾を施しました。豪華絢爛な東洋一の美術の殿堂はこうして誕生し、2017(平成29)年4月1日目黒雅叙園からホテル雅叙園東京へリブランドいたしました。
美食の楽園

美食の楽園

季節の流れとともに楽しむ旬の食材

味はもちろん、目でも食を愉しんでいただきたいと考え、当時のトップ画家たちに壁画・天井画・彫刻を描かせ館内にくまなく装飾しています。水面も美しい「招きの大門」を抜けると、その先に待っているのはホテル自慢のレストラン。絢爛豪華な装飾美で埋め尽くされた空間で、食を愉しむひとときまさしくここは美食の楽園です。伝統の味わいと新しい感性に磨かれた美食の数々をご賞味ください。
回転テーブル

現存する最古と言われる回転テーブル


「席に座ったまま料理をとりわけ、次の人に譲ることができないか」という"おもてなしの心"から誕生したもの。現存する最古と言われる回転テーブルは綺麗に修復され、今も大切に使用されています。

おもてなし

受け継がれるおもてなしの心


当時、「お嫁さんにもらうなら目黒雅叙園の接客係を」というエピソードもあるほど、社員教育は徹底されたものでした。ホテル雅叙園東京のホスピタリティは館内に数多く残された伝統文化芸術とともに、今も受け継がれています。

美意識の殿堂

美意識の殿堂

今も受け継がれる美のおもてなし

日光東照宮の美学を伝える昭和の豪華な装飾美。黒漆に蝶貝をはめ込んだ螺鈿、鮮やかな日本画、浮彫彫刻などが建物を埋め尽くし、部屋ごとに趣の異なる多彩な美の根底に流れるのが、江戸時代より受け継がれてきた日本の伝統的な美意識です。あらゆる趣向をひとつの建物に共存させ、さらなる美しさを作り出しています。1935(昭和10)年に建てられ、現在も残る東京都指定有形文化財「百段階段」は、その装飾の美しさからも、伝統的な美意識の最高到達地点を示すものといってもよいほどと評価をされています。
花魁通り

宴会場までお客様が退屈しないように


廊下から欄間、天井を埋め尽くすように絵が飾られていたのが旧目黒雅叙園の特徴でした。現在のホテル雅叙園東京には、美人画が描かれた扇型の天井画と花魁通りと呼ばれた廊下を装飾していた彩色木彫板が壁に施され、お客様を宴会場までいざなっています。

花魁通り

一日をお大尽のように過ごしてほしい


お客様は来園されてからお料理を待つ間、館内散策や部屋を飾る絵や彫刻を見ながら退屈することなく過ごしたといいます。 絵画や壁画の知識がなくても、ひと目で"すごい"と思わせる絢爛豪華な装飾美は、ホテル雅叙園東京のおもてなしの精神として今も生き続けています。

美意識の殿堂

晴れの日の舞台

幸せをよぶ、日本の彩り。

当時、結婚式場といえば美容室、写真室、神社での挙式を経て、料亭やホテルへ移動するスタイルで、特に雨の日は大変な苦労でした。花嫁や参列の方たちにかけがえのない大切な一日をゆったりと過ごしていただくため、館内に、神殿・衣裳室・美容室・宴会場を作り、日本初の総合結婚式場としての歴史がはじまったのです。
日本初の総合結婚式場

日本で初めての総合結婚式場


1928(昭和3)年に創業し、ホテル雅叙園東京は23万組をこえる新しい夫婦の旅立ちと、そこから始まる家族の物語を見守ってきました。そしてその物語のすべてが、大切な人の幸せを願う"願い"に彩られています。

花魁通り

かけがえのない一日へのおもてなし


当時、結婚式場といえば美容室、写真室、神社での挙式を経て、料亭やホテルへ移動するスタイルで、特に雨の日は大変な苦労でした。花嫁や参列の方たちにかけがえのない大切な一日をゆったりと過ごしていただくため、出雲大社より御霊をお迎えし、日本初の総合結婚式場としての歴史がはじまったのです。



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