ねぶた作家 竹浪比呂央 青森県青森市
「青森ねぶた祭」/相馬太郎良門 妖術を修る
ねぶた作家 竹浪比呂央 青森県青森市
「青森ねぶた祭」/相馬太郎良門 妖術を修る
関東一円を征服し、自らを『新皇』と称した平将門。しかし、朝廷の命を受けた武士団に討ち取られ、無念の最期を遂げた。
戦乱のさなか、辛うじて生き延びた将門の嫡男、太郎は幼き頃より武芸を好み、父、将門を偲ばせる武士へと成長していった。
とある日、筑波山中にて妖しげな蝦蟇の術を使う仙人と出会う。その場で亡き父、そして己の素性を明らかにされた太郎。
はや一途に一族の再興を図るべく一念発起すると仙人へ弟子入りする。
苦行の末、妖術を会得すると、父の出生地である相馬から『相馬太郎良門』と名乗りを上げ、
全国に散らばった同志を捜し集め、旗印を揚げたのであった。
良門が、師たる仙人より授けらるる蝦蟇の術を修めんとする場面を青森ねぶたの技法にて空間構築したものである。
- 竹浪比呂央
- 4歳の時に青森の大型ねぶたを観て衝撃を受ける。大学2年の時に、ねぶた制作者の千葉作龍氏に弟子入り。
大学卒業後、ねぶたを作るために青森市に転居。働きながら修行を積み、平成元年に初の大型ねぶたを制作しデビューを果たす。
以来、4度の「ねぶた大賞」受賞の他、数々の賞を受賞する。ロサンゼルスやハンガリーなど海外でのねぶた制作も手掛ける青森を代表する「ねぶた制作者」のひとりである。また、ねぶたの創造と研究を主とする「竹浪比呂央ねぶた研究所」を設立し、「ねぶた」を「紙と灯りの造形」と捉え、新たな可能性を追求するとともに、後継者育成にも力を注いでいる。
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