(左上/うだつのあがる町並み、右/旧須田万右衛門家の源氏枠御殿、左下/屋根の両端の防火壁「うだつ」 下・中央/美濃和紙あかりアート展)
美濃和紙の産地として有名な岐阜県美濃市は、「うだつのあがる町」としても知られています。 「うだつ」とは屋根の両端に作られた防火壁のこと。江戸時代、火事の際の類焼を防ぐためのものでしたが、当時の豪商たちがその富を競い合うように立派なうだつをそれぞれに設けました。 「うだつがあがる町並み」は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、江戸時代中期から近代にかけての建物が並び、風光明媚な景色が残されています。 2月中旬から4月のはじめにかけて、「うだつの町家のおひな様」と題しうだつの町を舞台に家々に雛人形が飾られます。 百段雛まつり展で展示されるお雛さまは、美濃の旧和紙問屋、須田万右衛門家に伝わる御殿飾りです。 寛永年間より続く須田家は元々紙問屋を営んでいましたが、その後金鉱山の試掘や銀行を興すなど、様々な方面で活躍しました。 お雛さまのまわりを囲むのは、美濃和紙で作られたあかりたち。和紙の柔らかな光で会場をやさしく照らします。
(左上/日本土鈴館内観。天井まで展示が覆う、右上/色合いも鮮やかな土のお雛さま、左下3点/野田末吉氏の土鈴。指先ほどの小ささながら表情豊か、
右上/色合いも鮮やかな土のお雛さま、右下/日本土鈴館外観)
岐阜県郡上市、白鳥町に位置する日本土鈴館は、日本全国の土鈴や土雛をはじめ、世界各国の郷土玩具のコレクションでも知られる博物館です。コレクションの数は10万点を超え、ギネスにも登録されています。 博物館の壁や天井の隅々まで展示された土鈴や土人形、郷土玩具のコレクションは思わず「すごい!」と 息をのむ迫力です。 中でも、名古屋土人形の第一人者であった人形作家、野田末吉氏の土鈴のコレクションは圧巻です。 名古屋土人形は明治維新後、旧士族が京都の伏見人形の製法にならい作ったのが始まりとされます。 野田家は明治15, 6年頃から土人形作りに携わり、戦後も末吉氏が制作を続けてきましたが、平成元年、 野田末吉氏の死去とともに名古屋土人形は廃絶しました。 末吉氏は、様々な種類、意匠の土人形と土鈴を創り出しました。本展では、末吉氏の80cm近い大きな 人形から、指先ほどの小さな土鈴をはじめ、郷土の土雛と郷土玩具の世界をご紹介します。
(左上/日本大正村入口、上・中央と右/大正ロマンあふれる町並み、下/色あいや表情も様々なハイカラびな )
山あいの町、岐阜県恵那市明智町にある日本大正村は、大正時代の建築や資料を保管、展示する、町ぐるみの大正の博物館です。製糸を地場産業として栄えた大正時代の頃の姿そのままに、風俗、建物をはじめ、生活文化や自然に至るまで大正時代のたたずまいを残しています。矢絣袴をレンタルして町を歩けば、「ハイカラさん」になって大正時代にタイムスリップしたかのような世界が広がります。 「ハイカラびな」は、明治・大正の流行のモデルを追った土人形です。土雛は内裏雛や歴史的なテーマでの 生産のものがほとんどでしたが、その時代の同時代のものも作られていました。 明治の中頃から先の大戦後まで生産は続き、陶器や磁器の人形に発展していきました。 当時の風俗を反映した、ハイカラさんの人形たちが「百段雛まつり」に勢ぞろいします。
(左上/板葺御殿飾り、右上と下・中央/古今雛、左下/小さな白木の道具たち、右下/静岡の御殿飾り。豪華な屋根には鯱(しゃちほこ)の姿も。)
御殿の中に雛人形を飾る「御殿飾り」は西の雛文化として発展し、その終点は静岡県でした。 御殿飾りには様々な種類があります。京都御所を模したものや静岡の東照宮を模した武家風のもの、 屋根の形も板葺や檜皮葺、鯱(しゃちほこ)付の塗物など個性豊かな御殿飾りが作られました。 「井戸家のお雛さま」は、岐阜県在住の井戸氏の個人コレクションです。 通常は一般公開されていない秘蔵のお雛さまたちが、百段階段にて特別展示されます。 圧巻の御殿飾りのコレクションをはじめ、冠や衣裳もあでやかな古今雛の段飾り、小さく精微な 白木のお道具など、文化財を背景に雛御殿にいるかのような世界が広がります。 百花繚乱の雛遊びの世界をお楽しみください。
( 上2点/代々の当主のもとへお輿入の道具として持参された人形が一堂に、 下2点/日下部民藝館外観、内観。建物は国の重要文化財に指定されている)
高山には古来、日下部家に代表される旦那衆と呼ばれる階層がありました。 旦那衆とは資産があり、災害時の町民救済を行うなどのほか、屋体の建設など高山の文化を築いた中心的な存在でもありました。 日下部家は天領時代、幕府の御用商人として栄えた商家です。 日下部家の住宅は高山の建築技術が集大成された建築として国の重要文化財に指定され、現在は日下部民藝館として公開されています。 日下部家に伝わるお雛さまは代々の当主のもとへ嫁入り道具として持参されたものが多く、人形の箱には代々のお嫁さんの名前が記されたものもあります。 大きな御殿を中心に、雅楽奏者や五人囃子、京都の葵祭りの行列など、様々な人形たちが一つの雛段上に飾られています。 日下部家の歴史を今に伝える圧巻の御殿飾りが、百段階段にて特別公開されます。
(源氏枠御殿飾りと雛道具。ほか、宿全体に100体以上のお雛さまが趣向をこらされた飾り付けで並ぶ)
岐阜県の北部、飛騨地方の中央に位置する高山市は飛騨の小京都とも呼ばれ、江戸時代の面影を残す古い町並みや、日本三大美祭の一つに数えられる春と秋の高山祭など歴史と文化が息づく町です。 平成28年には高山祭の屋体行事がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、さらに注目が高まりました。 本陣平野屋 花兆庵は、飛騨高山の風情あふれる町の中心に佇む女性に人気の旅館です。 高山陣屋や古い町並み、朝市など主要な観光地へも数分の立地と、日本古来の季節のしつらえやきめこまやかな「百のおもてなし」で親しまれています。 雛の宿としても知られ、雛まつりの時期には宿の中いっぱいに御殿飾りやお雛さま100体以上が飾られ 全国から多くの人々が見学に訪れます。期間中は雛膳や雛まつりプランなど、宿全体が雛一色に彩られます。
(古今雛の壇飾り。内裏雛のほか、闘鶏人形など様々な人形が一堂に )
飛騨地方の雛まつりは、一月遅れの4月3日に行われます。例年、3月初旬から4月3日まで、市内の各所で家々に代々伝わる雛人形が飾られる「飛騨高山雛まつり」が開催されます。 土野家に伝わるお雛さまは、江戸時代の1857(安政4)年に京都で作成されたもので、京都高辻室町西の 柏屋甚兵衛から買い求めたとの記録が残っています。当初は江戸時代の高山の商家のもので、後に 土野家に伝わりました。 飛騨地方では「あさつき」を根のついたまま雛段に供えます。これは、お雛さまがご馳走を食べる時の 箸代わりに使うものだとされています。 飛騨高山の町に春を告げるお雛さまたちが、百段階段にて初お目見えします。
(左上/情緒ある町並み、右上/白壁が並ぶ八幡堀。時代劇のロケ地として使われることも
左下と下・中央/八幡商人ゆかりのお雛さま、右下/アメリカ人建築家、ヴォーリズ設計の建物も随所に)
琵琶湖の湖東に位置する近江八幡市は、豊かな水と緑に囲まれた水郷と近江商人の町です。 国の重要伝統的建造物群保存地区に滋賀県で最初に選定された町並みや、豊臣秀次が築いた八幡堀 など、情緒溢れる景色が随所に残されています。秀次は八幡堀と琵琶湖をつなぎ、琵琶湖を往来する船を八幡に寄港させ、さらに、楽市楽座制を取り入れることによって、人や物、情報が行き交う商人の町として城下を発展させました。 「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしで知られる近江商人の中でも、最も早く活躍したのが八幡を出身とする八幡商人たちです。江戸の中心地である日本橋大通りに大店を構えたほか、京都・大阪をはじめ日本各地と交易をし、八幡に本家を置きながらもその足跡は全国に広がりました。 八幡商人として栄えた旧家には、ゆかりの雛人形が今も大切に保管されています。 毎年雛まつりの時期には「近江八幡節句人形めぐり」が開催され、歴史ある商家の町並みの中で八幡商人所蔵の雛人形や節句人形が展示され、多くの観光客で賑わいます。
(左3点/正野玄三家の御殿飾り、右上/近江日野商人館外観、右下/「桟敷窓」が設けられた家が随所に残る伝統的な日野の町並み)
滋賀県日野町は戦国武将 蒲生氏の城下町であり、近江日野商人の故郷としても知られています。 昔ながらの風情が残る街並みには、全国的にも珍しい「桟敷窓」のある景色が広がります。 桟敷窓とは、祭を家の中に居ながらにして見物できるように仕掛けられた窓のこと。800年以上の 歴史を持つ大祭、日野祭の神輿や曳山を座敷から眺めるため、道路に面した板塀をくり抜いて作られました。 毎年2月から3月にかけて開催される「日野ひなまつり紀行」では近江日野商人館をはじめ町中いっぱいにお雛さまが飾られ、桟敷窓ごしにお雛さまを見ることが出来ます。 近江日野商人は、地場産業の日野椀や売薬、小間物を持って行商へ出た商人たちです。 中でも、正野玄三の売り出した「万病感応丸」は人々に大変喜ばれ、全国へ広められました。 その正野家に伝えられたのが、七代目玄三が長女の初節句のため嘉永5(1852)年に京都で誂えた 源氏枠飾りです。細部まで精巧に作られた御殿飾りは、藩主から拝領したと伝わる道具類の数々とともに、近江日野商人の歴史と威光を今に伝えています。
左上/近江の名産の麻の衣裳をまとった「清湖雛」、左下・右/歴史ある五個荘地区の町並み
近江商人のふるさと、滋賀県東近江市五個荘地区では、毎年「商家に伝わるひな人形めぐり」が開催されて います。近江商人の本宅と農村集落が一体となった歴史的な町並みが残る五個荘金堂地区は 重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」として2015年に日本遺産にも認定されました。歴史情緒あふれる町を舞台にしたひなめぐりでは、近江商人の家々に伝わった貴重な雛人形や、現代の雛匠東之湖氏制作の雛人形など江戸から平成までのお雛さま100組以上が飾られます。 滋賀県在住の東之湖氏は、伝統と格式、素材と技法にこだわり丁寧な手作業で雛人形を作り続ける雛人形作家です。びわ湖をモチーフに制作された、地元の特産である近江上布(麻)をまとった「清湖雛」は東之湖氏の代表作の一つとして毎年ひな人形めぐりで公開されています。 本展では、湖国の豊かな自然を表した「清湖雛」が特別展示されます。
(左上/衣裳の刺繍も艶やかな古今雛、右上/長浜市長浜城歴史博物館外観、左下/唐草牡丹紋が配された雛道具 、右下/長浜御坊 大通寺山門)
滋賀県長浜市の古刹、大通寺は真宗大谷派(東本願寺)の別院として知られています。 彦根藩主・井伊家と大通寺は、江戸時代を通じて深い関係を維持してきました。 両者は寺領や建造物の寄進だけでなく、井伊家の息女や息男を迎えることも多くありました。 砂千代姫は13代井伊直弼の七女で、1859(安政5)年に大通寺の養女となり、1872(明治5)年に十世霊寿院厳澄の内室となりました。 本展では、現存する砂千代姫の調度の一つである雛人形が特別公開されます。 江戸時代のものとされる一対の古今雛は大通寺に伝わり、現在では長浜城歴史博物館で保管されています。豪華な刺繍が施された十二単の衣裳や、小さいながら実物と遜色ないほど精巧に作られた黒漆塗の雛道具は井伊家の威光を今に伝えています。
郷土玩具をモチーフにした商品は
幅広い層に人気を集める
「日本全国まめ郷土玩具蒐集」全シリーズが漆の雛壇に一堂に
1716(享保元)年、奈良の地で創業した中川政七商店は、創業以来手積み手織りの麻織物を扱い続け300年以上の歴史を持つ老舗店です。17世紀後半から18世紀前半にかけてピークを迎えた 奈良晒(ならさらし)産業の黄金期、初代中屋喜兵衛が奈良晒の商いを始めたのが始まりです。 現在は「遊中川」「日本市」といったブランドを展開し、幅広く生活雑貨や茶道具などの製造・卸・小売も手がけています。 近年では、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、各地の工芸を現場へ再生させる取り組みを行っています。 張子や鳩笛といった、日本各地の郷土玩具をモチーフとしたフィギュアをガチャガチャで販売する「日本全国まめ郷土玩具蒐集」(海洋堂とのコラボレーション)では、失われゆく日本の工芸に焦点を当て、郷土玩具の魅力を幅広い層へ伝えました。 本展では百段雛まつり特別コラボレーションとして、まめ郷土玩具をはじめとした「中川政七商店の郷土玩具ルーム」が登場します。