草月流は、いける人の「個性」を尊重する新しいいけばなとして1927年に勅使河原蒼風が創流しました。「いつでも、どこでも、だれにでも」そしてどんな素材を使ってもいけられるいけばなとして世界各地で親しまれています。現在は第四代家元・茜のもと、東京の本部を中心に、 国内はもとより世界中の支部やスタディグループが枠にとらわれない自由ないけばな活動を展開しています。
「古流」は江戸時代中期(明和年間-1760年代)に今井一志軒宗普によって創流され「生花(せいか)」は床の間にいける花として町民の間で流行し、今日まで伝承され続けています。生花(せいか)と呼ばれるそのいけ方は植物の出生を軸とし、四季の移りかわりを三才と呼ばれるその流麗な線状美の内に表現します。「古流松應会」は、創流時より千羽家が代々いけばなを伝承し、明治45年(1912)に会組織を設立、そして2008年、現家元が十代目千羽理芳を襲名し、一昨年100周年を迎えました。
いけばなは、その土地の風土や自然と密接な結びつけがなければ真の生命力は失われます。花器なども、高価なものは避けて、入手しやすい生活雑貨などを積極的に取り上げ、いけばなへの人々の親近感を強め、いけばなを展示する空間においても、従来の床の間主体の定石を破ってアンペラを使ったり、箱形の台を使って立体感を出すなど、環境に相応しい花を生けております。 そして、ありのままの自分を花で表現し、いけばなで心が癒されることをモットーとしております。
江戸で生まれ、江戸で育った古流は江戸時代中期(明和年間)に一志軒宗普によって創流されました。そのシンプルで「粋」な花は当時の人々に絶賛され、創流以来約二百五十年間、変わらぬ花の美しさを伝承して来ました。江戸、明治、大正、昭和、そして平成と時代は流れても変わらない揺るぎのない美が脈々と息づいています。現在では古典の花はもちろん、現代の生活にも潤いと安らぎを与える「花のある豊かな暮らし」を目指して日夜研鑚を重ねております。
郁生流は、昭和23年3月、初代家元澤井雅峰により創流されました。いけばなの美しさを喜びながら、文化や教養の糧となるものを心に、人間完成への前進手段としてのいけばなを目指してきました。現在、三世家元澤井雅恵が継承、『花遊び』『花のある暮らし』等、生活に密着した作品、またいけばなを自己表現の最たるものとし、オリジナリティーを大切にした作品をいけています。
中国、明の時代に著わされた「瓶史」が江戸時代半ばにわが国に伝来し、その内容と花論を熱心に研究し、それに基づいた華道の流派として誕生したのが、わが宏道流です。花型の基本は正操体と呼び全ての花型の基本となっています。ちなみに当流では開元の祖としての梨雲齋義想、初代青雲齋渓崕、および雲齋鳥習を当流三聖と崇めています。
相阿彌流は室町八代将軍足利義政公の同朋衆・相阿彌真相によって創始されました。相阿彌流のいけばなは、大自然と人との関係を重んじ(体(たい)・嶺(れい)・用(よう)・胴(どう)・留(とめ))の5体によりいけばなの造形を厳格に構成しています。「はなは花を生けるにあらず、心を生けるなり、花を生けるにあたりて礼のことまつるべし」と流訓は伝えています。
「麗月流」は1945年11月、初代家元、坂本汀雪により創流いたしました。古流を源とした生花、そして現代花にも意欲的に取り組んでおります。毎月一度、研究会を設け、生花の勉強、新しい花材や器の扱い方等を研究いたしております。現在、初代家元の時より続いております明治神宮、靖国神社、山王日枝神社へのご献花をはじめ、1年を通して色々な華展へ出展いたしております。
国風華道会では流祖福島経人の志を仰ぎ、日本人の心の中にある生け花本来の美しさを大切にしながら、常に今あるべき新しい生け花の世界を追求しています。様々に変化する住宅や建築事情及び外的な状況に見合った生け花を提供し、いつの時代にも持ち続ける日本人の美意識を、どんな場合にでもさりげなく表現できる生け花であることを心掛けてまいります。
昭和27年、初代白澤春草により、埼玉県浦和市にて創流。本部をさいたま市浦和区に置き、本年で創流61周年を迎えました。日本古来の「いけばな」の良さを生かしながら、現代の美意識に基づいた、格調高い自由花を追求。色彩と植物の造形美を求め、自己表現のいけばなと、日常生活で楽しむいけばなを共にめざします。
真生流は昭和2年に山根翠堂によって創流されました。真生流の「真」はほんとう・まこと・まごころを内容とする真であり、「生」は生花の生・生命の生を意味します。本当に生かされた、真心のこもった生命の躍動する花。それが真生流のいけばなです。現在は三代目家元 山根由美のもと、花を通して精神を高め、豊かな心から生まれるいけばなを目指しております。また近年、現代生活にマッチしたナチュラルフラワースクールを開設し、他方面での活躍の場も得ております。
きらら会の「きらら」とは雲母のことです。ダイアモンドや金のようなきらびやかさはなくとも、いつでも雲母のように鈍く光っていたいという願いが込められています。 1984年の発足以来、花を愛する者の集まりとして花の可能性を探ってきました。 1988年から「折る」「結ぶ」「いける」という、三つの日本の美学を融合させた「きらら花包」を展開。色とりどりの和紙に包まれた花たちが、新しい「花包のいけばな」となって生活空間を演出していきます。
池坊は室町時代中期、池坊専慶が花の名手として歴史文献『碧山日録』に登場、室町時代後期には池坊専応が花伝書『池坊専応口伝』を著し、いけばなの理念を確立しました。それは、美しい花を鑑賞するばかりではなく、草木のいのち、風興を基とすることを説き、花をいけることによって悟りに至るいけばなを成立させ、この理念は現在にまで引き継がれています。
未生流は未生斎一甫(1761-1824年)によって1807年頃大阪で創流されました。2014年、肥原慶甫が十世家元を継承、翌2015年には流としてこの百段階段に初めて参加いたしました。未生流の挿花は、陰陽五行説を根底とし天円地方合体によって出来る三角鱗に天人地の役枝を配することで構成されます。陰陽和合・虚実等分の理をもって、生命の根源から挿花を考えます。伝統の格花はもとより現代の生活様式に応じた新花を広めるべく様々な試みを行い、また次世代への普及発展に努めています。
清泉古流は初代以来、温故知心の心と、進取の精神を持ち「古典花から現代花まで」をテーマに活動しています。古典花は四季折々の草木を生花(せいか)として生け、その"不易"の姿を正しく伝承しています。また現代花は"流行"のその先を見据え、植物に限らず、様々な素材をとおしていけばなの可能性を楽しみながら模索しています。現在は仙台市に本部を、岩手県、福島県、関東地区に支部を置いて活動しています。
人に個性があるように、植物にも個性があります。 そして、花をいける空間にも個性があります。 いける人の個性、いける花の個性、いける空間の個性。 3つの個性を生かし、融合させることで、 より魅力的で美しいいけばなが生まれます。 いけばな雪舟流は創流以来、 脈々と伝わる華道の伝統を受け継ぎながらも 常に現代的な感覚を取り入れてきました。 これもまた“時代”という個性との融合です。 個性を生かす自由ないけばな。 それが、いけばな雪舟流のいけばなです。
小原流は19世紀末、流祖・小原雲心(おはらうんしん)が盛花(もりばな)という新形式のいけばなを創始して、近代いけばなの道を開いたことに始まります。 盛花は、口の広い器(水盤)に材料を「盛る」ように花を展開させるもので、それまでのいけばなの、いわば線の動きを主にした構成にくらべ、面的な広がりを強調したところに特徴があります。今ではおなじみの水盤と剣山を使ういけばなは、小原流が始めたものです。 創流してから120年、時代の変化にともなって盛花を基本に、生活空間にふさわしいいけばなの研究および普及につとめています。
広山流は初代・岡田広山が明治の末、時代の変化とともに洋風建築にも適応する新しいいけ花を目指し「植物本来の個性をいきいきと表現する自由花」として創流いたしました。三代家元は野草の分野を開拓、「野の花山の花」と評されるまでになりました。平成22年に創流100周年を迎え、現在は四代家元の下、初代が好んだ「桃は桃らしく、梅は梅らしく」の言葉のように、自然の姿を大切に、日常の暮らしに寄り添ういけばなを大切にしております。
成月流は昭和5年に初代家元 岩淵成方によって「花心一如(花と心を一つにする)」「自然即芸術(自然美は芸術)」を目標に創流されました。 植物の持つ「線の流れ」「色彩」「空間」を大切に、いけばなの表現をしている流派です。 花と向き合うことで自らが成長し、花を活けることで周りの人々と喜びを分かち合うことが生み出される作品を目指しています。 いけばなの形は、盛花、投入れを基本としています。
梶井宮御流は京都三千院を源とする流派です。 連綿と受け継がれてきた古典花を大切に守り伝えると共に、時代に即応した花を目指すべく現代花にも力を入れております。 現在は横浜が本部となっておりますが、毎年11月には流派発祥の地である三千院に於いて、各支部の代表者が参集し、華展を開催致します。 国内外を問わず三千院を訪れる多くの観光客の方々からご好評をいただいております。
いける人が自分自身の眼で、手にした植物一本一本に真摯に向き合い、その「貌(かお)」を捉えて自由に作品にしていく。それが、龍生派の創作の基本となる「植物の貌」という考え方です。明治19年、吉村華芸(かうん)により創流された龍生派では、今日、現代の暮らしの中に息づくいけばなを中心におきながら、古典華の伝承にも力を入れています。
清風瓶華は大阪の花籠造りの名人、初代早川尚古斎の家に伝わる花をその子一世尚洞が東京で創流した流派です。その特徴は自然の風趣を愛し、芸術性を尊び、新しいいけばなの創造を促す自由な気風にあります。
清風瓶華は大阪の花籠造りの名人、初代早川尚古斎の家に伝わる花をその子一世尚洞が東京で創流した流派です。その特徴は自然の風趣を愛し、芸術性を尊び、新しいいけばなの創造を促す自由な気風にあります。
華道専正池坊 は、現家元諸泉頼子の曾祖父諸泉祐道により昭和5年に創流された全国組織の流派です。当流の特色は多様な花型にあります。古典花である立華、生花を継承保存し、時代とともに自然花、自由花、彩花、フラワーアレンジメント、一枝一花と新しい花も展開して参りました。さらに現代の生活様式にあった、手早くいけるシンプルないけばなの普及に努めております。時代と共にしなやかに進化するいけばなを提案します。
1917年 松風流 創始者 押川如水初代家元、女流華道家として国内外で「新しいいけばな」の普及活動。1974年 松風花道会(会員制)設立、初代会長 原田淑水、1977年 社団法人松風花道会として認定され歴代会長のもと会の発展につとめる。2013年 4月公益社団法人に認定され、現6代会長 橋本栄水のもと一層の華道普及、発展のため「個性豊かないけばな」の研究、発展、子供教室ボランティア会報、ホームページ等々、活動展開中。
古流松藤会は、1916年に初代・池田理英によって東京で組織され、1966年に社団法人組織の認定を受けた流派です。本部を東京都文京区に置き、国内・海外に約60の支部を組織して全国的に活動しています。古流松藤会のいけばなには、江戸時代から続く伝統の「生花」と、自由な発想の「現代華」という二つの様式があり、伝統美と新しい美を同時に追求しています。
花は人の気持ちを温かくしてくれます。花から貰うもの、香り・感触・色彩・・・ そしてそれらに花を生ける人、観る人の心が加わって「いけばな」になる。 私達五十鈴古流は古典としての古流系生花、また生け手の個性を大切にする自由花、共に花・草・木が持つ美しさを探し、表現しようとする「いけばな」を目指します。
当流は江戸中期に一志軒宗普により興された古流生花を伝承。併せて昭和3年より古流という流派から離れた盛花・投入れを中心とした「いけばな」作品を発表・指導しております。凛と清々しく軽快で粋、季節感と安らぎを与える花を…。伝承の技と花型と共に、古流・大觀流の現在(いま)を生きる花をご高覧ください。
昭和8年に初代家元佐藤秀抱により創流され自由花を主体としながら植物の個性と人間の個性を活かし色彩との調和を大切にしております。 現三代目家元バーネット秀抱により日本の伝統美との調和に取り組んできました。 今回百段階段では、「星光の間」 にある各天井及び欄間いっぱいに描かれた日本画家板倉星光の四季草花との調和、桃山文化・江戸文化の流れを組む日本の美意識を極めた木造建築との調和をお楽しみ下さいませ。
清風瓶華は大阪の花籠造りの名人、初代早川尚古斎の家に伝わる花をその子一世尚洞が東京で創流した流派です。その特徴は自然の風趣を愛し、芸術性を尊び、新しいいけばなの創造を促す自由な気風にあります。
昭和9年創流で、本年創流80周年を迎えました。古典花から現代いけばな迄、幅広く学び活動をしている若手作家の多い流派です。 古典花を大事にしながらも、常に新しい「花の形と心」を模索しています。 「いけばなは、古い作法では無く、時季(とき)を表現する花の芸術です。」
桂古流は埼玉県に家元本部がございます。明治時代に三世家元が新潟の佐渡よりこの地に移り住み 以来歴代家元がさいたま市の出身となっております。 当世は新藤華浩となります。桂古流家元本部は 一般財団法人新藤花道学院として運営されております。 古典花の形は「たちいけ」と呼びます。タテの三角形 を作り上げること、足元は叉木に収めるようにします。 いろいろな制約がありますがすっきりとした美しさは いまなお人々を魅了してやみません。すてきな漁樵の間に活けられることをとても嬉しく存じます。
今から約270年前、江戸中期の享保から享和年間に江戸下谷の住人であった望月義想によって宏道流は創流されました。その背景には中国明時代の詩人であり文人であった袁宏道の著した花論書「瓶史」の文人隠逸なる花への強い憧憬に共鳴したことがあります。 我々も瓶史の挿花精神をバックボーンに引き継ぎ、端正な様式に加え現代建築様式にむけた花への探究を続けています。
いけばなはその発生以来、時代とともに変化し、様々な様式を生んできましたが、江戸時代中期には生花(せいか)という様式が生まれ、全国で盛んに生けられました。古流かたばみ会では伝承花である生花と、今日の生活空間とも見合った自由花(現代華)とを二本の柱として位置づけ、その指導と普及に努めております。
いけるという行為は、いま私が手に把ったこの花との一期一会の出合いを、いかに深く楽しむかということに盡きます。いけあがった結果を他者に伝えることも大切ですが、それ以上に、いける過程で、どれだけ自由に、大胆に、緊張に満ちた花とのやりとりを押し進めていけるか-大和花道は、ここを、いけばなの根本の大事と考えます。
「一葉式いけ花」は、花や植物と自分との“間”を大切にしています。物事には“間”というものがあります。それは、空間であったり、時間であったり、関わり方であったり、或はバランスであったり、人により感じ方、捉え方は様々です。一葉式いけ花は、『自分の“間”を意識して“植物”や花材の持つ良さや表情を捉えて花をいける』といった理念があります。また、和室にふさわしい花をはじめ、現代の生活様式を楽しむ花、スケールの大きな舞台創花まで、暮らしを取り巻く全ての空間を花の場ととらえ、その場、その時、その材料で、また、どんな国、どんな文化でも調和できる独創性豊かないけ花を目指しています。
いけばなはその発生以来、時代とともに変化し、様々な様式を生んできましたが、江戸時代中期には生花(せいか)という様式が生まれ、全国で盛んに生けられました。古流かたばみ会では伝承花である生花と、今日の明治40年、流祖・美捷法眼(びしょうほうげん)によって創流された東池坊は、今年で106年となります。東池坊のいけ花は品位と格調を重んじ、道としての心、精神の修養をあわせて、華道・茶道・茶花という三位一体の道を歩んでいます。
古流は今井一志軒宗普によって江戸中期に創流されました。古流松濤会では、伝承花である「生花」と、現代の生活に合った「現代華」の二つの様式があり、変わらぬ美しさや、季節感を感じて頂き、少しでも多くの方が、いけばなを好きになって頂けるよう心がけております。